心地よい「物語」にひたりたい人びと

毎朝新聞を読んでいると、「これだ!」と思うフレーズに出くわすことが多い。今朝は昨日の毎日夕刊の紙面をみていて、ある学者の言葉に思わず膝を打った。それがタイトルの言葉だ。「人びと」は私が付加したフレーズだが、現代は「心地よい物語にひたりたい」人びとであふれている。その典型が、日本軍は悪いことはしなかった、日本人はすばらしいとの“日本真理教”の面々だろう。この宗教を信じているのは、日本会議などの構成員や信奉者で、安倍政権以降、その裾野は一挙に拡大し、一つのビジネスとしてのうまみを発揮する分野となっている。そうした分野で大手を振って今も仕事をしているのが、門田隆将こと門脇護などの面々だ。彼の書くノンフィクションの結論はたいがい決まっていて、「日本人はこんなに素晴らしい」との読後感に誘導するものがほとんどだ。つまり、訴えたい結論やプロパガンダが先にあって、それに使えそうな材料をそろえ、逆にその方向に沿わない事実は容赦なく切り捨てる。いわばデマ週刊誌的な手法である。要するに全体として事実であるかどうかにはさほど関心がない。ひいていえばデマでもよい。以上はジャーナリズムの手法とは真逆で、似非ジャーナリズムの典型ともいえる。そんな手合いが席巻するのが、2025年9月の日本社会の実相である。

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