創価学会の教義変更がいろいろと取り沙汰される。世界布教において海外で無名の日蓮を前面に出すより、大衆が知っている釈迦を前面に出したほうが“得策”といった観点からの変更のようだが、問題は会員にほとんど「説明」していないことだろう。教義変更はそれ自体、教団の根本に関わる問題のはずだが、その当否の前に、なぜこのような変更が必要なのか、どこをどのように変更するのかなどを団体構成員にわかりやすく説明し、一定の理解を得るのは当然の前提である。だが教団のこのような体質は、教団として支援する公明党にも“伝播”しているようで、同党が岸田政権時代、自民党に迎合して行った防衛費の2倍増も、ほとんど教団会員や党支持者に「説明」がなされないまま現在に至る。なぜ戦後政治の大変革ともいえる防衛費倍増を行ったのか、どのような未来を予測しているのかなど、ほとんど説明がないままだ。問題はこうした「説明しない文化」に慣れきり、疑問にも思わなくなっている構成員の側にもある。教団が官僚主義に陥っていると私が指摘するのは、このような体質を指し示すものだ。説明責任はアカウンタビリティと称し90年代にしばしば取り上げられるようになったが、民主主義の基本的な要件が教団内に根づいていないように見えるのは由々しき事態と感じる。