1945年の沖縄戦をどのように見るかは、やはり先の戦争をどのように捉えるかという問題と直結する。簡潔に事実関係を述べれば、日本は1941年に米国に奇襲攻撃をしかけて開戦し、1945年に2つの原爆を落とされ、敗戦を受諾した。その前には1937年に中国で戦争を始め、数百万の大軍を現地に送り、延々と「侵略」に伴う戦争を続けた。日本軍が中国でやったことは、2022年にロシアがウクライナにやったこととほぼ同義だ。ともあれ、米国との戦争は日本の目論見通りには進展せず、局面は悪化。日本での本土決戦の前に「沖縄」が衝突の舞台となる。沖縄は日本本土の「捨て石」とされ、民間人が保護される発想もなかった。その結果、県民の4分の1が死に至り、高等女学校や師範学校の有為な女性学徒も多くが犠牲になった。だが、京都府選出の参議院議員・西田昌司氏は、これらの事実を認めているのかどうか定かでないが、「日本の『侵略』により戦争が始まり、米軍の『侵攻』または『反攻』により戦争が終わったと書かれていた」と産経の月刊誌で新たに主張し、「『日本軍は悪、米軍は善』という東京裁判史観そのものだ」(いずれも本日付東京)と批判したという。先の大戦が日本の侵略(先制攻撃)によって始まったのは歴史的事実であり、さらに米軍が反撃して戦争が終わったことも外形的に明らかだ。その上で「日本軍は悪、米軍は善」と捉えるかどうかは、主観の範疇の問題だろう。現実に米軍に投降して命を長らえた沖縄県民は多くいる。西田氏の主張は非常に雑ぱくで、精密さのカケラも感じられない。日本の国政を司る政治家がこれでは思いやられる。