戦時下の沖縄在住の学童が集団疎開するために九州に向かった「対馬丸」が撃沈されて80年(1944年8月22日)。本日付毎日、日経、赤旗に関連記事がある。私も20世紀の沖縄を生きた一人の著名な空手家の評伝を書くに当たり、その有力な弟子の一人にこの沈没事件から生還した少年(当時)がいることを知って驚いたことがある。この事件から1カ月半後、那覇市内は日本本土の主要都市より半年早く米軍機によって“焼け野原”にされ、対馬丸事件から半年後には沖縄戦が始まり、沖縄は「地獄絵」を現出する地域となった。対馬丸事件は沖縄のその後を予感させる象徴的な事件だったといえる。よく言われることだが、戦争による最大の被害者は立場の弱い女性や子どもたちであり、女性の社会進出を一層進め、女性の感性と判断能力を社会的に取り入れることが、より平和に結びつくという考え方は私は正しいと思う。