いま地球上に生きる意味

日常生活の中で時折、自分の存在について俯瞰的に捉える瞬間がある。この時代に、この場所で、人間として生きているという意味について考えるあるいは感じ取る瞬間である。地球上には現在、ホモ・サピエンスという種類の人類が生息しており、世界のいたるところで紛争を引き起こし、大量殺戮兵器を貯蔵し、環境を破壊し続ける。一見知能があり、理性的なような面をもつ半面、野獣の側面も併せ持つ。そうした現生人類の「矛盾」のはざまで、この地球上に生息する80億人の人類の運命が委ねられている現状がある。人類はこのまま生息を続けられるのか、あるいは極端には破滅へ向かうのかも定かでない。

そうした場所と、時代のあり方を考えるのは、仏教の根本思想に、輪廻や、生まれ変わりという考え方があるからかもしれない。いま現在、〇〇〇〇という氏名で生きている「自分」は、死んだあと、生まれ変わって、再び地球に生じるかどうかもわからない。宇宙には多くの生命体があることが予想され、さらに現在のホモサピエンスのような形態の人類と同じ形状である保証もない。極端にいえば男と女という形式上の2種類の生物でない可能性もある。そんな妄想を頭の中で廻していると、いまこの時代に、この地球上で生きている「意味」、さらにそこから逆算して自分は何をしなければならないのかという事柄を再確認した気になる。結論的にはそれは「日本」という小さな島国に囚われた発想ではありえない。共通する運命共同体として、全世界、全地球の未来のためという発想に向かわざるをえないからだ。日本が「人道立国」の先進国として振る舞えるようになるにはどうすればよいのか。まずは日本社会の抵抗勢力との関係が重要になる。平たくいえばそれは広い意味での「シャクブク」につながる。

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