自己弁護と自画自賛に終始する欺瞞の党

ことしの11月7日(旧暦で10月25日)はロシア十月革命から100周年ということで、これまで一般紙などでも特集が組まれてきた。本日付で目を引いたのは、日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」である。「ロシア革命100年と社会主義を考える」と題する見出しで総括めいた記事を大々的に掲載している。だが、その内容は自己弁護と自画自賛のオンパレードだ。もはやそうでなくては成り立たないということでもあるのだろう。

総括記事では、レーニンを美化するとともに、スターリンをこきおろして自己弁護を図るという手法だ。例えば、戦後1950年から同党が平和路線とは真逆の暴力革命路線に手を染めた言い訳としてスターリンを利用している。

具体的には、「日本共産党は1950年、スターリンによる武装闘争の押し付けという干渉を受け、党中央の一部が内通・呼応して中央委員会が解体されました」など、自分の責任にはなんら言及しないで、すべて環境が悪かったと責任転嫁する形で総括している。その上で、日本共産党こそがソ連の覇権主義と真っ向から戦い、打ち破ってきたとの自画自賛につながるいつもの論法だ。

いま私の手元に1961(昭和36)年の「アカハタ」のコピーが束ねてある。スターリンが1953年に死去し、フルシチョフがスターリン批判を展開した56年のさらに5年後の時期である。同年の11月8日には「十月社会主義大革命44周年記念 講演と映画の夕べ」という催しが東京・杉並公会堂で開かれ、野坂参三議長と宮本顕治書記長が講演を行っている。11月7日付の「アカハタ」紙面では、「平和と社会主義は勝利する」との特集記事を大々的に掲載し、「不動の勝利者=社会主義 平和を守る10億の人民」などとソ連の歩みを天まで持ち上げ、同時に自身の正当性を強調していた。

スターリンの横暴が世に知られ始めたこの時期においてさえ、実際は日本共産党は「ソ連信仰」のくびきから外れていなかった。彼らが大々的に覇権主義と戦ったなどと言いだすのはそれよりずっと後のことである。

印象的なことは、名実ともにソ連を翼賛し続けた同じ政党が、ソ連が崩壊するやいなや、手の平を返して行った宣伝のその対照性の鮮やかさだろう。91年になると、ソ連のことを「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党」とこきおろしているが、同じ政党が口にした言葉とは思えない。例えば1961年の時点でさえ、「革命を達成したレーニンの党」「44年の偉大な歩み」「恐れ知らぬ闘争」「共産主義への偉大な前進を祝う」などと声たかだかに書き残していた事実は都合よく消え去るものではない。

「最大の翼賛」から、「最大の侮蔑」へ――。日本共産党のソ連共産党に対する歴史的態度の変遷のありようは、同党の日和見主義を象徴する態度にしか映らない。要するにそもそも「革命の内実」が備わっていないからこそ、同じものをとらえて、正反対の評価で揺れ動いたにすぎない。

 

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