「極右」と「極左」の意外な共通点

両極端に位置する人びとに共通する特徴を感じたのは最近のことだ。例えば櫻井よしこのような「極右」のプロパガンダを担う人物は、旧日本軍の蛮行を指摘されると過敏に反応する。その結果、南京大虐殺や従軍慰安婦の問題を過小評価し、できるだけ「天皇の軍隊」の悪い点を隠そうとする傾向が強い。果ては日本の軍部が関与した張作霖爆殺事件などもコミンテルンの謀略だったなどとあえて歴史的事実をねじまげ、日本軍の罪を消そうと努力するわけだ。実際にあった事実をありのままのまなこで見るのではなく、他者に責任転嫁することで、罪を消そうとする空しい努力ともいえる。

一方で、同じことは「極左」の日本共産党にもいえる。1950年から極左暴力路線をとった当時の日本共産党を、「党中央の一部が(スターリンと)内通・呼応して中央委員会が解体された」(11月7日付しんぶん赤旗)などと弁解しているが、これも上記の「極右」の論法と同じく、事実をねじまげる行為にほかならない。当時、スターリンと呼応したのは「党中央の一部」などでは決してなく、「党そのもの」であり、自分たちの立場を正当化するには、そうした言い方しかないのだろう。

結局、共産党が、責任を自分以外のものに転嫁することで自身の正当性を主張しているのは、先の櫻井よしこらの言動と本質的には何ら変わることはない。

右派の論客・櫻井よしこと日本共産党の不破哲三ら。信じる主義は真逆ながら、持論を成り立たせるために、矛先を自分以外のものに当ててスケープゴート化することで、自己弁護を図るという言動は見事に共通している。

 

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