日本共産党の遅れた敗北

過去にも書いたと思うが、現在、日本共産党が国会で一定の議席を占める世界レベルで見れば“異様な事態”を生んだのは、やはり戦後同党の“中興の祖”とされる宮本顕治氏の功績としか言いようがない。戦後まもなく暴力革命路線の惨状を立て直し、現在に至る最高幹部、不破・志位の両氏を抜擢した「先見の明」による。戦前は党内に潜入したスパイを査問して自らその殺害に手を染め、終戦時は網走刑務所ですごした。同人は「革命家」と呼べる人物だったと思える。その同氏が路線を大きく変転させ、議会主義(議会で多数をとって革命を成し遂げる方向)に舵を切ったのは、もはやそちらにしか党組織を維持する道はなかったからと思われる。だがその路線をつくった宮本氏の死後、すでに16年以上を経過し、「革命」の継続は途切れたかのように見える。何より同党にはもはや「革命家」と呼べる存在がいない。それでいて最近になって「革命政党」などと名乗り出したのは、相当に窮地に追いやられている証左ともいえる。もはや「革命家」でもない、サラリーマン政治家にすぎない志位和夫議長は、同党の革命を成就する力も手腕も備わっていない。せいぜい同党の延命をいかに長持ちさせるか程度の話だろう。宮本元議長が健在であったなら、現時点でどのような判断を下しただろうか。志位氏のような中途半端な対応ではなかったと推察する。かといって70~80年代の強権的手法は通用しない。私なりの結論は、共産主義政党の鉄の掟ともいえる「民主集中制」を手放し、通常の民主主義的組織に移行する道だったと考える。結局、共産主義は負けた。何に負けたかといえば、「時代」に負けたのであり、本質的には「真理」に負けたのだと思う。

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