池田名誉会長の文明史的価値

池田名誉会長が毎月のように会員に姿を見せていた創価学会の本部幹部会。全国会館にテレビ中継され、名誉会長の指導性や人柄に身近に接することのできる機会だった。その本部幹部会への最後の出席となったのが2010年5月13日。その日を最後に会員の前に直接姿を見せることはなくなった。それでも大きな会合などでは必ずメッセージを寄せ、指導性は変わることはなかった。以来、13年以上が経過する。

すでに90歳を超える高齢であり、いつこの日が来るのかを考えたことのない会員はおそらくいなかっただろう。本日付の新聞では名誉会長の業績について、公明党を創設したという史実がやはり大きな要素を占めていたようだが、それは社会的な公的な立場としての側面であって、本質的には公明党をつくった功績は、名誉会長が生前なした膨大な仕事のごく一部にすぎない。本質的には、戸田前会長の時代には日本国内にとどまっていた仏教の精髄とされる法華経信仰を、世界に広げて定着させ、揺るがぬものとして確立させた行動と結果にこそある。極論をいえば、仮に日本の創価学会がこんごどうなったとしても、すでに世界中に法華経が広まる基盤は張りめぐらされたといえる。

昨日たまたま日本の地元会合に出席する機会があったが、会員はみな、心のどこかで予期していた日が来てしまったという心境に見えた。まだ実感がもてないという人、落胆の気持ちを隠さない人などいろいろだった。それでも65年前の1958(昭和33)年、多くの会員が予期しない形で戸田前会長を失ったときに比べれば、会全体として次世代に継承準備するための時間的猶予は十分にあった。その意味でこれから教団が分裂するなどのネット上のヨタ話は、65年前以上に全くと言っていいほど現実味がない。

本日付朝刊では「公明、羅針盤失う」(毎日)、「カリスマ失い公明岐路」(読売)、「公明の集票力、弱まる恐れ」(日経)などの見出しが目についたが、新聞各紙がとりあげるように公明党の存在は今後もつづく。同党と教団が、国内だけでなく、世界をいかに「平和の文化」で包み込み、政策的に全人類を善導できるかどうかは教団の評価を大きく左右する。今後は池田名誉会長(第3代会長)が戸田会長(第2代会長)の没後一人黙々と立ち上がった65年前と同じように、有形無形に薫陶を受けた弟子たちが「本門の戦い」に挑む時代へと移る。

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