社会新報勤務から30年

個人史の類いだが、社会新報に勤務して30年の日となる。30年前は1993年11月15日。初日、編集部員の案内で国会議事堂内を歩いたことが記憶に残る。政治部の記者たちに紹介され、いろいろと説明を受けた。幼少期、この政党機関紙(週2回刊)を近所に配るかわりに、社会党員の父からお小遣いをもらっていたのが少年時代の私だった。学生時代に出逢った法華経の哲理に従えば、なぜ私が佐賀県に生まれ、なぜ社会党員の家に生まれ育ったかは、今となってはよく理解できる。佐賀県で生まれたがゆえに東京に出て郷里の偉人とされる大隈重信のつくった大学に入ったのであり、社会党員の父親のもとで生まれ育ったからこそ、大学卒業後、社会新報編集部で働く奇縁を得た。同編集部での3年間の歩みは、自民党政権が崩壊し、さらに復帰するまでの「激動の3年」と重なったが、そのときのさまざまな経験がいまの土台として生きている。人生に無駄なものはないということを深く考えさせられる一日だ。

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