イデオロギー・ノンフィクションの終わり

ノンフィクション業界は完全に「冬の時代」を迎えている。発表媒体が激減していることに加え、取材費の確保もままならない苦しい時代だ。ノンフィクションはある人物や出来事を「深掘り」する作業なので、過去の事柄を調べなければならない。そのためには人物や事件に関する地域事情を調べるために出張を余儀なくされる。また関係者をたどって取材を繰り返す。近年、そうしたノンフィクション業界に特異な現象が生じていたのは、日本国は素晴らしい、日本人は他の民族よりも優れていると宣揚するためのノンフィクションを称する作品が日本の出版業界で一定比率を占めるようになったことだ。この場合、客観的な事実や歴史から普遍的な教訓を読み取るなどの真摯な営為と異なり、最初から特定イデオロギーのプロパガンダ(宣伝・普及)を目的とする「戦時報道」と似たようなもので、分野は違うが共産主義は素晴らしいということを宣伝するために「いい材料」だけを集めて、主張したい内容を体現するのと全く同じ手法である。日本は素晴らしいという国粋型イデオロギー・ノンフィクションの最右翼の書き手が門田隆将こと門脇護であり、最新刊『尖閣1945』もその一つだ。産経新聞出版から出されるものだが、これも最初から結論ありきのイデオロギー作品の典型というべきものだ。それにしてもこの作家氏、ずいぶん腕が落ちたもの、というのが私の率直な印象だ。頭の中がネトウヨ化すると、当然、自らの筆にも影響が及ぶという必然的な現象なのだろう。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。