東村山の構図14 真相の推理

1995年の転落事件は、朝木明代が自らの万引き事件に責任を感じ、突発的に行った「ためらい自殺」にすぎなかった。もし明代が病院に運ばれた後回復していたら、真相ははっきりしたはずだ。だがフェンスに胸部をしたたかにうちつけ、多くの失血を伴った転落は彼女の命を奪ってしまった。その死を自分本位に利用したのが矢野穂積だった。

以下は私の推測となるが、矢野と明代の間で最後にどのような会話がなされたかがより重要となる。その会話が明代がハダシで外に飛び出す行動を生んだと考えられるからだ。

「お前なんか、死んでしまえ」、あるいは「死んで詫びろ」と矢野が言い放った可能性は十分にある。売り言葉に買い言葉で明代が「死んでやる」と外に飛び出した可能性も濃厚だ。それは突発的な反応であったために、靴もはかずに飛び出し、ビルの高いところに昇ってみたが、実際は下を見て怖気づき、本能的に手すり部分にしがみついた。その結果、下までそのままズルっと落ちてしまったというのが現場の状況からの矛盾のない推察と思われる。

その間、事務所にいた矢野は、今後の展開を頭の中でグルグルと描いたはずだ。明代が本当に死んでしまったらどうしようか、いや普通の顔をしてまた戻ってくるかもしれない。矢野はじりじりとした気持ちで待ったはずだ。逆にそうした衝突が2人にとって日常的なことであったとしたなら、矢野にとってさほど差し迫った感じでなかった可能性もある。だが「死んでやる」と啖呵をきって出て行ったかもしれない朝木明代は、1時間以上たっても戻ってこなかった。逆に救急車のサイレンの音が鳴り響き、その音は、矢野が一人で待っていた草の根事務所にも届いたから、彼は何かがあったと咄嗟に悟ったはずだ。

矢野が事件発生後に大袈裟に主張したように、本当に明代が不審な第三者に狙われていたのなら、矢野は救急車のサイレンを聞いた段階で心配のあまり本人確認のためとっさに飛び出していなければならなかった。だが彼は事務所の中でじっとしていた。サイレンの音の元が朝木明代であった場合、その後は2つの展開しかない。明代が死んでしまうか、救急処置で蘇生回復するか。矢野は2つの場合を考えて対応を練ったはずだ。結果的に矢野は、明代が死亡した場合のバージョンを使って、その後の行動を展開した。教団に「罪なき罪」をかぶせることで、自分たちの責任を回避する行動に出ることは彼の中では既定路線となっていたはずだ。

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