現職東村山市議の朝木直子がいまだに教団謀略説を匂わせるのは「利権」にすぎないと前回紹介した。彼女の主張の根拠も、ほとんど無きに等しいのが実態だ。唯一それらしきものがあるとすれば、朝木明代を司法解剖したときの鑑定書くらいのものだが、そこに明代の両腕にアザがあったことを示す記述があったとしてそれが他殺を意味する証拠であると、これもかなり無理筋の主張をしているにすぎない。なぜならこのアザは司法解剖を行った法医学者の目視では確認されず、メスを入れて初めてわかった程度の所見であり、そもそも転落現場では多くの住民がいたマンションで、「争った声」や「形跡」を確認した者は存在しない。
結論するに、このアザをつけたとすれば、それは草の根事務所で、矢野穂積と朝木明代が2人でいたときにつけたものとしか考えられない。朝木明代が9時19分に自宅から事務所の矢野に「具合が悪いので少し休んで行きます」と電話してビルから転落する10時までの残り時間は40分。明代は少し休んだ後、実際に矢野がいた事務所に寄ったであろうことは明らかだからだ。そこから転落場所まで歩いて2分の距離にすぎない。
重要な事実は、矢野らは「他殺」と主張しながら、自分たちの事務所の捜索を拒絶している。翌朝、事務所を訪れた新聞記者は、朝木明代のものと思われる靴があったのを確認していた。明代は転落現場のビルまで素足で歩いていたことが明らかだったからだ。その後その靴は忽然と消えてなくなったという。
明代に最後に接触した人間がだれかと問われれば、それは矢野穂積以外には考えられない。事務所への警察の立ち入りを拒否した事実は、客観的には、真相がバレてしまうのを恐れたためと考えるのが妥当だ。