東村山市議の闇5 朝木明代の万引きの背景

朝木明代の娘である朝木直子と矢野穂積がいつ頃から親密性を深めたのかは定かでない。明代の死後、2人が恋人同然のいちゃついた姿でいるのを見て「不謹慎」と感じた市民がいたことも事実だ。ともあれ、東村山の人気市議だった朝木明代を含む「草の根」会派から3人を擁立し全員当選させるという目論見は破綻し、加えて、苦し紛れに行った議席譲渡には市民から猛反発する動きが出てきて、朝木明代への重圧は一層強くなった。

朝木明代が東村山市内の洋品店で万引き行為を取り押さえられたのは1995年6月19日の午後3時すぎのことだった。盗ったのはわずか1900円のTシャツで、その場で店主に取り押さえられ、結果的には「未遂」に終わっている。だが店主によると発覚したのは2度目であり、1度目はまさか市議会議員がそんなことをするとは信じられないまま、見逃す結果になったという。そのため今度こそはと身構えていたところに案の定、明代が現れ、再び万引きを繰り返したというわけだった。

その場には複数の客がいて、客の勧めもあり、店主は東村山署に届け出た。その結果、軽微な万引き事件は朝木明代自身の取り調べに発展し、その後の転落死事件へとつながっていく。

死亡当時、明代には3つの重圧がかかっていたと推察される。一つ目は、議席譲渡問題に関する会派中心者としての責任。2つめが矢野穂積と娘である直子との関係性である。そして3つめに、この万引き事件という自身が起こした不始末の影響だ。この不始末行為に対し、矢野穂積から鋭い叱責が飛んだことは同人の性格を知る者なら容易に想像できる。

万引き事件は、上記の1と2などの要因から、ストレスに耐えきれなくなった明代が、自身の職業的地位も顧みずに起こしてしまった行動とみられる。

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