宗教ヘイトの公職者「朝木直子」

ひと昔前はまだ「陰謀論」という言葉は一般的ではない時代があった。だが今ではトランプ前大統領に象徴されるように、選挙に負ければ「不正が行われた。選挙が盗まれた」と主張し、選挙に勝てば「正しい選挙が行われた」といった、事実と関係なく、自分の都合のいいように解釈する言葉として使用されるようになった。1990年代、この「陰謀論」の言葉どおりの現象が起きたのが東京・東村山市だった。それは1995年の統一地方選挙から始まった。

それまで市民派人気市議として知られていた朝木明代市議に加え、同一会派から2人の候補者を擁立し、3人で選挙を戦った。朝木明代市議は当選、娘の朝木直子も初当選、ところがもう一人の矢野穂積候補は次点で落選の憂き目をみた。このとき朝木直子は自らの議席を返上する形で、落選した矢野穂積を繰り上げ当選させる行動をとったことにより、東村山市議会および東村山市は大きな騒動に巻き込まれていく。市民有志が裁判を起こし、「議席譲渡」が有効かどうかが最高裁まで争われた。結果は、譲渡は「無効」との司法判断となった。

この大騒動は朝木明代議員の心理に大きな負担となったはずだ。6月には市内洋品店で明代市議による万引き行為が発覚し、警察沙汰となった。同市議は9月1日、東村山駅前のビルから転落死する。警察の捜査では「自殺の疑いが濃厚」という判断となった。現場検証によって争った形跡が皆無で、突き落とされる際に生じる放物線落下もなかったことなどが決め手となった。さらに明代市議は万引き事件で検察の事情聴取をまじかに控えていたことが明らかになった。娘の議席譲渡騒動、自らの万引き事件の刑事事件化。心労がたたり、駅前のビルの上層階に昇ったと見られている。

このとき教団謀殺説を最初に唱えたのは、矢野穂積と朝木直子だった。もし自殺であったとすれば、議席譲渡の当事者2人は市民に叩かれる結果となる。そうした恐怖感からか、2人は警察捜査も終わっていない段階から、週刊誌にリークを始めた。「母は創価学会に殺された」。当時のメディアは事実的根拠を伴わない政治的主張に乗せられ、その後の民事裁判で連戦連敗する。事実による裏づけがなかったからだ。

いまも朝木直子議員は同じ政治的主張を繰り返している。27年間、具体的証拠を一度も示さないまま、今も「殺された」と断定的に発信している。そのほうが自分にとって、政治的利益があるからだろう。公職者が自分の立場を守るためとはいえ、長年にわたりデマを繰り返して、無実の団体を誹謗中傷している事例を私は知らない。明白な「宗教ヘイト」といえる。

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