自身の職責とは何か

アメリカ共和党の予備選挙でリズ・チェイニー下院議員がトランプ前大統領が立てた「刺客」に大差で敗れた。テロを危惧したチェイニー氏は草の根の選挙戦ができなかったと伝えられる。本日付の毎日新聞では同女の言葉として「当選は容易だった。トランプ氏のウソに付き合えばよかった。しかし、それは私が選べる道ではなかった」と語っている。自らの良心にかけて、「選挙が不正に盗まれた」などと主張して結果をひっくり返そうとしたトランプ前大統領の姿勢に同調できなかったと言っているにすぎない。日本でも安倍政治のもとでは似たような状況が繰り返されてきた。元首相を守るため、自らの保身のために公文書の改ざんを指示した財務省の高級官僚。安倍元首相の仲間ともいえるジャーナリストのレイプ行為をもみ消すことに同意したとされる警察庁幹部。いずれも、自らの職責に忠実でなく、自らの出世や私欲のために職責をまっとうできなかった者たちである。それに比べ、リズ・チェイニーのやったことは、自らの再選ではなく、公を重んじる姿だ。「政治家」「役人」「ジャーナリスト」とそれぞれ職業は異なれども、その根底にあるべきは「ファクト」(事実)である。その事実を捻じ曲げてでも己の欲望に流される者たちは、その職責をまっとうしていないだけでなく、その資格に欠ける。そんな人間たちが現代日本にはゴロゴロしている。安倍政治がつくりだした悪弊の最たるものだ。

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