門田隆将こと門脇護という人物

門田隆将という人物がウクライナ危機に乗じて日本も「核共有」すべきと公然と主張するようになった事実を私は逆説的に歓迎している。なぜなら自分でリアリストを称しているこの人物が、実際はリアルの意味すらわからないまま、口先だけで主張していることを歴史的に象徴するような行動となっているからだ。日本人であれば、広島や長崎でどのような惨状が起きたかは普通は身をもって知っている。核兵器が「手段」となりえる武器ではなく、人間の尊厳そのものを否定する“悪魔の兵器”であることを肌でわかっているからだ。そんな真のリアリスト日本人であれば、核兵器を使って自分たちを守ろうという身勝手な発想は生まれてこないだろう。「口先だけのえせ論者」としての行動が明確に刻印され、冒頭の歓迎するという言葉の意味となる。

門田隆将こと門脇護は、一昨年11月の米大統領選でトランプ発信のデマに簡単に乗せられ、事実的に誤った虚偽発信を繰り返した。米連邦議会議事堂の襲撃事件もトランプ側に立って、擁護した。つまるところ、もともと事実を識別するための記者としての「眼」がはなはだ乏しいため、自分の好きなように解釈し、自分の好きなように垂れ流してやまない。そうした行動はすでに週刊誌記者時代から顕著だった。要するに「変わらない」のだ。多くのデマとウソを垂れ流し、幾多の裁判で断罪されてきた。そうした“前科”をもつ記者が、いまも公然と活動しているのがこの国の不思議だ。この「異常な時代」を象徴する現代日本社会の標本ともいえよう。

短絡的な思考で、持論をとうとうと主張してやまない特異な人格。その特異人格は、週刊誌デスク時代に、多くの部下から嫌がられたと複数の関係者から耳にしている。事実を識別できない「頭でっかち」の行動。誤報を垂れ流し、反省もしないで、延々と同じことを繰り返す人物。この国の若きジャーナリスト志望者は、こうした行動の人間にはなってはならない。門田隆将こと門脇護は、その典型的な「モデル」として歴史に刻印される。

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