佐賀県が生んだ「恥」

私が生まれ育った佐賀県東部は文化的には福岡県に近く、言葉(方言)もそちらと融合している。私の育った土地は肥前藩ではなく、対馬藩の飛び地で、壱岐対馬の対馬は山が多く平野に乏しく稲作に適さないため、九州本土に米作りのための飛び地をもっていたというわけだった。佐賀県は小さな県ながら、多様性をもつ。中央部に佐賀市があり、西部は長崎県と接しており、独自の色合いが増す。中でも玄界灘に面する県内2番目の都市とされる唐津市は、古代から中国大陸や朝鮮半島と交易をおこなった土地柄とされ、開明的な歴史をもつ。「唐」は中国の意味であり、「津」は港を意味する。だがこの唐津市からとんでもない民族差別主義者を生み出したことは、自慢できない。現在、日本や韓国で問題となっている化粧品会社DHCの会長が、この唐津市の出身であることを知ったのはごく最近のことだ。サントリーをチョントリーと揶揄したり、事実無根の民族差別的主張を会長自ら堂々と発信し、社会問題化している。私は人種差別撤廃条約を日本が批准した後、早期にその国内法である人種差別禁止法をつくるべきと考えてきたが、そのことがいやまして必要と感じられる時代になった。

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