規律と規範を失った社会

世の中には一定の規律や規範が存在する。それは地域社会における常識のようなものであったり、その国の風習であったりする。規律の維持されている社会では、「ウソ」はいけないものという常識が一般には機能している。だが基盤となる規律や規範が失われると、その共同体は安定性を失う。ウソがはびこる社会とは、その安定財源が失われた状態といえるだろう。中でも政治指導者のような立場の者が意図的にウソをばらまき始めると、その社会は一気に規律を失う。いまのアメリカはその最たる事例に思える。1期4年で3万回にものぼるウソを日常的に吐き続けていれば、その社会でウソへの免疫が確実に低下することは明らかだ。同じことは日本でもいえる。政治指導者が自分を守るために平気で虚偽答弁を続ければ、「ウソをついてはいけない」という規範は明らかに崩れ去る。その影響はそのまま一般社会にも投影される。そのため、言論人などでも、事実でないことをいくら垂れ流しても、何ら制裁を受けないという「規律を失った状態」が生まれてしまう。現在の日本はそうした状況にある。規律を失った社会はさらなるウソが蔓延しやすい。常習的なウソつきが元気に活躍する社会ともいえる。そうした社会からは手痛いしっぺ返しを受けることになることも明らかだ。だからこそ、政治家や言論人に対して、ウソを許してはならないということになる。ちょっとしたことという安易な気持ちが、いずれは大きなしっぺ返しとなって自分たちに返ってくることを忘れてはならない。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。