「倒錯した人格」はなぜ生まれたか

門田隆将こと門脇護の仕事歴を批判的に扱った書籍を小生が出版したことで、本人は「圧力団体」という言葉を盛んに使うようになっている。昨日のネット番組でも創価学会、公明党、中国に具体的に言及していた。勘違いもはなはだしい。私の知る限り、現在の創価学会や公明党は「圧力団体」などでは決してない。ある意味、普通の常識的な団体だ。普通というのは、過度に批判に敏感になるのではなく、正当な批判に対しては前向きに受け止め、逆に根も葉もないデマに対しては厳しく対応するという当たり前の姿勢のことである。教団としての草創期をへて、すでに成熟期に入っている日本の教団の実態は、「圧力団体」にはほど遠い。実はこの門田隆将こと門脇護こそ、教団に対し、過去に多くの深刻なデマを使って攻撃を仕掛けた張本人にほかならない。本人はそれらを「正当な仕事」と錯覚しているようだが、教団はそうしたデマ体質を過去に糾弾したことがあるにすぎない。要するに、門田がデマではなく、正当な批判や論評を行っていたのであれば、本人が「圧力」と感じるようなこともほとんどなかったと思われる。自らは犯罪的行為に手を染めておきながら、まるで逆に自分が「被害者」であるかのように振る舞っているこの姿は、明らかに「倒錯した人格」から生まれる顕著な傾向だ。

私はこの人物に注目し始めた17年前から、これらの傾向の原因について一つの予断をもってきたが、その予断は正しかったように見える。本人は幼少期に深刻な病気を抱えた過去がある。それを克服し、成長していく過程で、いまの「特異な人格」(=オレがオレがの傾向が顕著な自己愛的人格)の下地を形成したと分析している。

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