防衛省が沖縄本島南部の土砂を辺野古沿岸部の埋め立て使用に検討している問題が、沖縄では大きな問題となっている。76年前、本土住民の捨て石となった沖縄戦の犠牲者の多くが南部地域で亡くなった。当然ながら多くの遺骨もまじっている。その骨を基地建設に使うのかという論法だ。そこには純粋に科学的な根拠がどうかということよりも、沖縄の地元感情を無視した中央政府への怒りが存在する。同じことは福島でも同時に起きている。原発事故処理の汚染水について、地元住民の感情を無視した行動が地元の怒りを買っているからだ。沖縄と福島に共通するのは、中央政府の「都合」によって地元民が翻弄され続ける姿である。
官僚主義というべきものの悪弊であり、そうした悪弊を打破すべき政治の良心が機能していない状況ともいえる。70年代くらいの自民党政治には、まだ政治に「心」というものが存在したように思われるが、現代日本においては、そうした余裕すら見失われてしまっているようだ。こうした精神性の欠如は、沖縄・福島が特別なわけではなく、政治全般に反映されることは必然だ。国民が政治に共感を覚えなくなるのは当然の図式である。