空手随想 2 

60代でピークを迎える空手

極真空手は試合を行い、それを観客に見せることで知名度をあげた。鮮やかな上段回し蹴りでノック・アウトされるシーンなど、視聴者にプロレスやK1と同じ興奮を呼び起こしたと思われるからだ。だがもともとの空手に、試合の概念などなかった。極真空手がオープントーナメントを始めたことにより、日頃の稽古が試合を想定したカリキュラムとなり、それまでなら金的蹴りやつかみ、あるいは顔面への攻撃も通常の組手で行われていたものが、試合形式の練習へと「変質」していったことはよく指摘されることである。

もともと試合で使えるのは命を落としかねない、あるいは重篤な事故に結びつくような危険な技を「除外」した技であり、それは本来の意味での空手の攻防とはかけ離れたものである。ある高名なフルコンタクト空手家が、試合で使える技の比率は空手のすべての技の「1割程度」と雑誌で語っているのを読んで、なるほどと思ったことがある。

試合における空手を「競技空手」と呼ぶならば、競技空手を突きつめて行えるのは、年齢的には30代までが限度だろう。それはすべてのスポーツと同じことで、肉体の法則とさえいえよう。だが本来あるべき空手はそうではない。ある空手家の本で「60代にピークを迎える空手」との言葉を読んで、思わず興味がわいた。その空手家は極真空手のトップ選手の出ながら、その後、沖縄空手(剛柔流)などに傾倒していった人物である。

筋トレなどで促成的に鍛えた筋肉を使って行う「競技空手」はやはり年齢的な限界が生じるものの、本来の空手は、そうした次元にとどまるものではないということだろう。

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