憎悪産業の卑しさ

 「憎悪産業」が真っ盛りの時代となった。メディアや政治家が大衆の憎悪を煽り、売り上げや集票に結び付ける手法といえる。私が見るに、この手法を手掛けたのは花田紀凱という人物で2005年ごろからだ。「憎悪産業」が掘り起こしの対象とするのは、大衆の「感情」である。それは「劣情」という言葉に置き換えられる。大衆の心の底に日常潜む敵愾心を煽り、一定の行動を促すように仕向ける作用を持つ。一方、本来のメディアの役割は、問題の本質を伝え、あるいは提起し、読者・視聴者に自分の頭で考えるように仕向ける理知的なものである。有権者を賢くするための情報発信ともいえる。その意味で、憎悪産業とそれに対比される本来の言論とは、その位相が全く異なるものだ。逆に、憎悪産業で儲けているメディア人が本来なら侮蔑の対象となるような社会でなければ健全とはいえない。繰り返しになるが、現在の日本社会はこの「憎悪産業」が真っ盛りの環境下にある。隣国である韓国や中国を憎悪・侮蔑し、事実と虚偽をまじえたような主張や言論がまかりとおっている。それは人間の感情に訴えるだけに、売り上げにも如実に貢献する。人間の消費行動を強く促すのは、理知性よりもやはり激情だからだ。そうした安易な商法がまかり通っている昨今の現状は、正されなければならない。どこまでも冷静に、俯瞰して、激情に乗せられない「啓蒙的な力」が絶対に必要である。

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