空手の源流に宿る沖縄の平和主義

空手が沖縄発祥の武術であることは空手をやっている人は多くが知っている。だがそれ以外の日本人はどうかというとあまり認知されているとはいえないようだ。沖縄発祥の空手は中国から拳法が伝来し、その型を沖縄ふうに土着化したものとされる。空手の源流武術について「ティー」と呼ぶという説があるが現状では俗説にとどまる。沖縄は琉球処分や沖縄戦によって多くの資料が焼失してしまっており、文献的な裏付けがもはや存在しないことが大きい。それでも空手の源流武術がどのようなものであったかを知ることはできる。本土の人間よりも体の小さかった沖縄人が、あくまで自分の身を守るための手段として練り上げられた武術であったという事実だ。その結果、自分がそのような武術を修練している事実そのものが「秘匿」された。現代のある沖縄の空手家は、空手の源流武術は闘うための武術ではなく、「戦わないための知恵」だったと定義する。争い事が起きそうな場所には最初から近づかない、そのような状況になったらすみやかにその場を立ち去る。このことを信条とした。沖縄に宿る平和の知恵は、空手の源流をたどるとそういうものになる。これを現代の国際環境にあてはめるとどうなるか。自分の国を守る最低限の武器を所持することは必要だが、それは「使わない」ことを最大の美徳とし、自分から相手を威嚇したり、けしかけたりすることは悪であるという発想である。逆にそのような行為では、自分の身を守れなくなるという危機感から本能的に生まれた「知恵」ともいえる。今の日本はそうした「知恵」のない人間ばかりが増えているようだ。

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