ゾンビ復活を許した日本社会の民度

事実的根拠の伴わない虚偽内容の告発キャンペーンを手掛けた記者が、架空の事件を大きく見せるためわざわざ訴訟を起こすことを勧め、自ら弁護士まで紹介していた「信平狂言事件」。1996年に起こされたこの典型的なスラップ訴訟は、2000年以降に多発することになったとされる同種訴訟の「先駆け」となる事件だった。ファクトを最も重視すべき記者が、十分な裏付けをえないままに特定の事実を決めつけ、報道に踏み切る。その結果、「大誤報」であったことが裁判で確定しても、記者は何らの社会的責任もとらない。この事件の主役の一人、門田隆将は何らの社会的制裁を受けないまま、いまもペンの世界でのうのうと仕事をしている。つまるところ、日本社会は言論の失敗に、概して寛容な社会だ。どのような社会倫理にもとる事件を起こしたとしても、いつのまにかゾンビのように復活できる。そこにあるのは反省なき国民性の反映ともいえる姿であり、それは旧日本軍がアジアで加害行為を働きながら真摯に反省せず、自己正当化してきた姿と瓜二つだ。事実、先の門田隆将は「慰安婦は売春婦」といったデマを平気で流す感性の持ち主として知られている。自分はファクトを厳密に吟味しないまま、煽り行為に奔走する姿は、本質的には先の信平狂言事件と何ら変わるところがない。不祥事を起こした反省がないから、形を変えて同じことを繰り返しているだけなのだ。「反省なき日本人」の象徴ともいえる姿である。

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