世の中には多くの種類の空手(Karate)が存在するがもともとは沖縄発祥の武術だ。沖縄の地で中国文化と日本文化が融合して出来上がった折衷文化の側面がある。中国といっても地域的には福建省が中心で、日本文化は剣術であり、当時の柔術などだった。沖縄で空手が根付いた理由は「自分の身を護るため」だった。ただし現代の空手はそれだけでなく、体を鍛えるため、子どもの教育効果のため、試合で優勝するため、健康のためなどさまざまだ。ただし原点が「自分の身を護る」ことにある点を無視することはできない。世の中には空手指導者という立場が無数に存在するが、私の尺度では、その指導者の価値は「自分の身を護れる人を何人つくったか」に集約されると考える。当然そこには紛争を未然に回避する理念である「空手に先手なし」等の思想も含まれる。そのように発達した固有文化のため、自分の武術を口外することすら当初はご法度とされた。「隠して持つ」の趣旨からだ。その上で紛争を避けて避けてそれでもどうしても身の危険を取り払うことができない場合にのみ、この武術を使って身の安全を確保する、というのがもともとの精神であり、成り立ちだった。空手指導者の一面的価値は、自分の身を護れる生徒を何人育成できたかというのは一つの考え方だと思う。