東村山市議の闇12 空白の50分間

この事件の真相を解くカギは「空白の2時間」と呼ばれてきた9月1日当日の午後10時40分から翌日0時30分にあるともされてきた。この用語は宇留嶋著『民主主義汚染』で最初に活字にされたと思われるものだ。

矢野穂積が朝木明代の所在確認のために東村山署に電話したと矢野本人が主張している時間が午後10時40分。だが東村山署に残された記録では翌日の0時30分という「誤差」があった。『民主主義汚染』では、矢野の主張する10時40分は虚偽で、実際に架電した0時30分まで「空白の2時間」があったと紹介している。

実際はその前にも、朝木明代と矢野穂積が弁護士に相談して帰ってきてから、矢野は地元の自治会長の会議に出席するために事務所を出て、朝木明代が単独で事務所にいた時間があった。矢野が9時10分に事務所に戻るとだれもいない状態で、転落事件はそれからほどない10時に発生。つまり矢野が事務所に戻った午後9時10分から翌日0時30分までが空白となっており、なかでも9時10分から10時までの50分間が事件のカギを握る重要な時間なのだ。その間に何が起こったのか。

NTTの記録などによれば、朝木明代は自宅に戻ったあと、9時19分に事務所に電話をかけ、「気分が悪いので少し休んで戻る」と告げたとされる。いずれにせよ午後10時には転落現場に明代の姿はあったわけで、草の根事務所は、朝木の自宅と転落現場の中間点にあった。明代は自宅を出て、いったん事務所に戻ってから転落現場に向かったと考えるのが、立地的には自然だ。事務所と転落現場は歩いて数分の距離。事務所に30分後の9時50分に戻ったとしても、なんら不自然さはない。

重要なヒントは、転落時の明代が靴をはいていなかった事実だ。また転落前の一人きりの時間帯に、外をふらぶらと徘徊していた様子も目撃されている。その中に彼女が万引きを行った洋品店周辺も含まれていた。明代は、自ら起こした万引き事件を気に病み、心虚ろな状況にあった可能性が高かった。

その明代が再び事務所に戻ったとき、矢野穂積と顔を合わせた際に何があったのか。推測にすぎないが、何らかの衝突めいたやりとりがあり、明代は靴もはかずにそのまま飛び出して行った。そう考えるのが最も理屈にかなう。

矢野にとっては、この時間帯のことを詮索される事態が一番まずかった。事件後、矢野が警察による事務所内捜査を自ら拒んだ事実がそのことを裏づける。事件直後に新聞記者の一人が、事務所に女性の靴があったのを見ていたとの話も残る。

当時の週刊誌記事は、明代の靴が事務所にも自宅にもなかったと平然と書いたが、それらは矢野の主張が正しいことを前提にした記述にすぎなかった。自らの利害のために平然と虚偽を並び立てるタイプの人間であることを何ら考慮しないで垂れ流した記事でしかなかったからだ。

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