東村山市議の闇11 「自殺」では困る理由

1995年9月1日に起きた朝木明代の転落死事件。現場検証や捜査が始まる前から「他殺」と声高に言い立てた側には、「自殺」では困る政治的な理由があった。最大の理由は、自殺という事実が広がったり確定したりすれば、当然その「動機」が詮索されることにつながるからだった。そうした事態を矢野穂積は本能的にか極度に恐れた。娘の朝木直子もそれに同調しているが、彼女の本心がどこにあったかはわからない。いずれにせよ、2人の利害は見事に一致し、さらに他の親族も同調する形となった。

結論するに、「他殺」である場合は、だれが殺したかという方向に話が進む。自らに責任が降りかかることは決してない。しいていえば、殺人を食い止めることができなかったと悔しそうに役を演じればそれで済む話だ(実際に矢野はその役者ぶりを発揮した)。逆に、自殺であったことが有力視される事態となれば、朝木明代は何のためにそうした行動をとる必要があったのかという方向で話が進む。となれば、直前まで一緒にいた矢野は根ほり葉ほり詮索されることになり、同人にとっては極めて不都合だ。議席譲渡から始まる一連の出来事の責任の大半は、矢野穂積自身にあったからである。

いうなれば、公職者としてのその後の死活問題にほかならなかった。仮に自殺ということが確定し、その動機における責任が矢野穂積にあることが定着すれば、矢野のその後の市議会議員としての「再選」などありえなかったはずである。こうした事情があったからこそ、矢野は客観的な事実関係が確定してもいない段階から、自らの主観的な事実を「作出」し、それらを大っぴらにマスコミに流す方法をとった。今となってはその動機は明らかだ。その意味で、事件の構図は極めてシンプルなものだったといえる。

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