「裏どり」をしない人間

門田隆将こと門脇護が昨日のツイッターで以下のように書いていた。「萩生田文科相が朝日に“官房長官”と誤報された顚末をブログに。祝いの電話やメール殺到で大迷惑。「通常本人に裏どりで確認するのが常識。だが同社記者に“何も聞いてない”と申し上げたがお構いなし。本日政治部長が謝罪に来た”と。裏どりもなしではもはやメディアと呼ばない。」

つまり、朝日新聞を「裏どりをしない新聞」として批判しているわけだが、自分が「週刊新潮」時代にどのような仕事を繰り返してきたか忘れてしまっているようだ

1994年には交通事故の被害者に「裏どり」しないまま、逆に加害者に仕立て上げる記事を自ら執筆し、裁判で完全敗訴した。95年には、東村山女性市議転落死事件をめぐり、「裏どり」をしないまま、まるで某教団が暗殺したかのような記事を自ら執筆し、裁判で完全敗訴した。96年には信平信子という狂言婆の主張を鵜呑みにし、「裏どり」をしないまま他人を犯罪視するキャンペーンを手掛け、信子が訴えた裁判で完全敗訴し、信子を全面的に応援した門田隆将も完全敗訴したに等しかった。これらは同人の週刊新潮時代の象徴的なごく一部の例にすぎない。さらに2008年に同誌から独立した後も、「裏どり」をしない行動で問題視されてきた。いちばん顕著な例は、昨年のアメリカ大統領選でも、「裏どり」をしないままトランプ大統領が勝ったかのようなツイートを繰り返し、完全に墓穴を掘ったことだろう。

「裏どりをしない」行動は、実は門田隆将こと門脇護自身の「お家芸」ともいうべき特技といえる。だがそれを朝日新聞に責任転嫁して恬として恥じないのが、同人の人間性の特徴的な部分である。「自分の筆の責任を取らない」「絶対に謝罪しない」「自分だけはいつも正しいと思い込む」――。これらは「門脇3原則」といわれるものだが、こうした「勘違い男」が跋扈する社会こそ今の日本社会の歪みを象徴するものといえる。

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