大阪事件無罪判決から59年

本日1月25日は若き日に創価学会の池田名誉会長が選挙違反容疑で逮捕起訴された刑事裁判で、大阪地裁で無罪判決が出された日から59年となる。1962年1月25日から2年近く前の1960年5月3日にすでに創価学会の第3代会長に就任していた池田名誉会長にとって、この判決は大きな意味をもっていた。もともとこの刑事裁判を抱えていたがゆえに、会長就任を懇願されながら拒絶した過去がある。それでも3度目の正直とばかりに懇請がなされ、とうとうハラを決めた結果の会長就任への決断があった。師匠であった戸田第2代会長は「裁判長は必ずわかってくれる」と若き日の弟子を励ました経緯があった。その言葉が単なる言葉上の励ましだったのか、本当の意味での洞察であったのか。結果は戸田会長の言った通りになった。

関西創価学会は若き日の池田名誉会長が手作りで育成した組織として知られる。1956(昭和31)年、教団が初めて国政選挙に進出した年の参議院選挙で、選挙区には東京と大阪に会員候補を立候補させ、東京は敗れたが、池田名誉会長が指揮をとった大阪は奇跡的に勝利した。この出来事を教団内では「大阪の戦い」と称して継承する。一方、翌年の大阪地方区補選では、無理な立候補を行った結果、敗北。その機に乗じて権力の魔性が吹き荒れ、池田名誉会長ら多くの会員が逮捕・起訴される事態へとつながった。関西は「大勝利」と「悔しい敗北」の両方を時をへずして経験したために、「常勝の気風」が育まれたとはよく口にされることである。

人間は成功体験だけでは、心に弛みと油断をもたらし、次の敗北の因を作ってしまう。だが負けたときの悔しさや惨めさも同時に体験したことで、関西創価学会には絶対に負けてはならないという腰の据えた気風ができあがったとされる。同じことを人間の成長に当てはめれば、順風しか経験していない人間は弱く、よいも悪いも両方を経験することが大事ということになる。大阪事件は今も多くの教訓を教えてくれる事件である。

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