佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を読む

創価学会がすでに「世界宗教」として機能していることを最初に国内で語った外部識者は佐藤優氏であったとの認識がある。同氏は社会人としての前半生を外交官として過ごし、多くの学会員外交官とも触れ、ソ連勤務時代には池田名誉会長とゴルバチョフ書記長の歴史的な会談にも関わっている。その後、政治的事件に巻き込まれ、自身が逮捕・投獄されるという稀有な体験ももつ。さまざまな意味において独特の立ち位置を占める著者が、創価学会の内在的論理(平たくいえば本質)を探究した渾身の一書という。

一読して感じたことは、著者が資料として扱った対象だ。バイアスの入った過去の反逆者の著作などは一切無視し、創価学会の正史と位置づけられる池田名誉会長執筆の「人間革命」「新・人間革命」、さらに池田名誉会長の自伝的意味合いをもつ日本経済新聞連載の「私の履歴書」をもとに、その人生と思想にアプローチしている。

本日の朝日新聞と産経新聞に同日掲載された書籍広告では、「炭労事件、大阪事件、言論・出版問題にも新たな光をあて…」とあるとおり、この3つの出来事については、著者独自の視点が明確だ。炭労事件については、当時の炭鉱労働者をまとめていた労働組合の根源に、共産主義・社会主義の原理が作用していたことを著者のソ連体験などから独自の視点で描かれる。大阪事件は池田名誉会長が若き日に巻き込まれた政治的思惑をもった事件といえるが、佐藤氏も逮捕・投獄された実体験をもつだけに、そうした実体験からの記述は、逮捕・投獄された経験をもたない者には書けないリアリティがある。さらに言論・出版事件においては、当の主役となった評論家の藤原弘達氏が実際は内閣情報調査室の息のかかった工作者であった実態を、自身の専門であったインテリジェンスの視点から指摘する。いずれも著者にしか描けない「オンリー・ワン」の視点である。

 
キリスト教を信じる著者は創価学会員からすればいわば「異教徒」だ。だが、世界宗教の先輩ともいえるキリスト教の歴史から、「新たな世界宗教」ともいえる創価学会の信仰(=法華経)に光を当てることで、非常にわかりやすいものとなっている。

 創価学会を肯定的に扱ったように見えるこの本によって、著者が無用な批判を受けることを覚悟する記述もある(187ページ)が、当面の反応はともかく、後世の歴史家がこの本を手にとれば、同時代のまともな論者が勇気をもって書いた本として扱われることになるだろうと感じた。

 少ない記述ではあるが、次のような箇所もあった。「21世紀の現在においても『神道は日本人の慣習である』という形で、神道が国教化される可能性が完全に排除されているとはいえない」(78ページ)。現在の私にとって、とても共鳴できた部分である。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。