門田ノンフィクションの虚構 4

ノンフィクションは小説などと異なり、当然ながら「事実」をもとに記載される。評伝の場合は「事実」を基礎として人物像を立ち上げられるし、事件の場合も「事実」をもとに事件の成り立ちなどを描かれる。ノンフィクションはあまたある「事実」を使って、「真実」を浮き彫りにする作業と私は考えている。この場合の「真実」とは、「本質」という言葉で置き換えてもよい。つまり評伝の場合は、その人物の「本質」が描かれていなければ、「真実」が描かれたノンフィクションとはいえないということになる。

結論からいうと、門田隆将のノンフィクションは、「事実」は描かれているが、「本質」が描かれていないものが多い。特に戦記物の場合はそれが顕著だ。

彼の思想信条は天皇崇拝の心情が強く、天皇の軍隊といわれた旧日本軍の非行・蛮行にはふれたくない、書きたくないという抜きがたいものがあるようだ。その結果、3冊もの太平洋戦争本を書いていても、そこには「南京虐殺」の場面はなきに等しいし、「慰安婦問題」もない。「731部隊」もない。さらに沖縄戦では、逆に、日本軍を美化する「事実」だけを取り出し、沖縄戦の「真実」(=本質)を意図的に覆い隠しているかのようだ。

要するに「真実」に迫らないこんな作品が正当なノンフィクションといえるはずはなく、恣意的な演習と見られても仕方がない。現代は「偽物」のノンフィクションがはびこっている時代といえよう。

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