空手とは何か。その本質を定義するのは意外と難しい。型なのか、組手なのか。突きなのか、蹴りなのか。いまの私なら、空手とはサンチンとナイハンチであると答える。 この2つの型を抜きにして、空手はありえない。個人的な見解にすぎないかもしれないが、沖縄空手を突き詰めれば、そのような答えになるとしか言いようがない。ではこの2つの型を抜きにした空手とは何か。私に言わせれば、それは“空手もどき”にすぎない。空手そのものではないという意味だ。空手の定義には、その人の空手観がにじみ出る。本質はシンプルなものだろうと思う。