週刊新潮という雑誌が多くの賠償を命じられた時代、この雑誌の動きをこまめに観測したことがあった。同誌から巣立っていったフリーのジャーナリストに門田隆将と森功の2人がいるが、その仕事ぶりはあまりに対照的だ。例えば後者がいまも「桜を見る会」の問題をはじめ、森友・加計学園問題についても正統派の監視的追及を行ってきたのに対し、前者の門田隆将は、これらの問題について「なんの問題」もないかのように論じ、安倍首相を擁護し続けてきた。ジャーナリストの存在意義は、批判対象がどのような立場であれ、その行いが正しいかどうかを基準とすべきであって、門田隆将などは自身と類似のイデオロギーを持つ首相を、その行動のいかんにかかわらず擁護するという姿勢が顕著であった。その姿勢はいまも変わっていない。そんなことを感じたのは、本日付けの東京新聞特報面の記事に、森氏のコメントが掲載されていたからだ。森氏の著作に目を通してみればわかるが、極めてまっとうなジャーナリズムだ。ジャーナリストはやはり「職人」でなければならないことを実感する。だれのために仕事をする「職人」かといえば、権力者の利益のためではなく、国民・市民の利益のためでなくてはならない。