勝利と敗北を両方知るということ

 ずいぶん前になるが、大阪の草創期の教団幹部から話を聞いたことがある。なぜ大阪の創価学会は強くなったのか。答えは勝利と負けを両方経験したからというものだった。昭和31年の参院選(大阪地方区)で「まさかが実現」と新聞に書かれた大勝利をした半面、翌年の参院補選では、敗北を喫した。その幹部は昭和31年の勝利の実績だけでは大阪の今はなく、その翌年の負けの悔しさ・厳しさを身に染みて体験したからこそ、いまの大阪は出来上がったという説明であった。そこには勝って浮かれたのでは組織の永続性はなく、常に負けの厳しさを意識しながら、気を抜かないで淡々と進むことの重要性を示した指摘だったと思う。 波田地克利は第二次宗門問題の際、学会側の立場で活躍し、教団内では一躍ヒーローのように扱われた。だが、日蓮正宗を相手にした裁判で完全勝利を収めることができなかったとき、その責任を自分以外に転嫁してしまった。 組織と個人という違いはあるものの、常勝関西と波田地の方程式の対照性が、そこに厳然とあらわれている。 かの山崎正友も逆恨み(責任転嫁)して、道を転落していった。波田地もまったく同様である。その軌跡は、見事なまでに一致している。 私自身、裁判で勝ったことも、一部敗訴したこともこれまであったが、負けたからといって、だれかのせいにしたことなど一度もない。言いたい気持ちはやまやまでも、それは自身の不徳のなすところと収めるのが正しい身の処し方と信じる。 その意味では、波田地は勝利と敗北の両方の経験を教訓とするのではなく、逆にただ単に勝利に酔うあまりに地道な精進を忘れ、その次に来た「敗北の現実」に、耐え切れなくなった凡たる姿を示しているにすぎない。 問われるのは、あくまでも信仰の姿勢、さらにそこから派生する行動の現実であろう。

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