フランスで「共産」退潮後に日本で発展した理由

今日付の読売新聞にエマニュエル・トッド氏のインタビューが掲載されていた。50年前の1968年がテーマになっているが、フランスではこの年に2つの大きな変化が見られたと論じ、そのひとつが「共産主義の終わりの始まり」だったと述べている。この後、左翼は社会党が伸び、共産党は衰えたからだ。

現在、フランスの共産党は衰亡の危機を迎えている。対照的なのは日本だろう。日本では、1968年以降、共産党が国会での議席を大幅に拡大し、現在に至る。

私なりにフランスと日本の時間差の理由を考えてみると、日本では1950年からの共産党の武力闘争路線が同時代の日本人の脳裏に強く刻まれたため、その後の発展が遅れたということだろう。私の父親なども、同党の暴力革命路線には、根強い反感をもっていた。

そのため日本では、共産党は戦後まもなくから拡大一辺倒の路線をとることができなかった。暴力革命と称して警察署を焼き打ちするなどの行為が、日本人に「危険な集団」とのイメージを抱かせ、同党はそれを払拭するためにさまざまな努力を重ねたものの、一定の成果を得るまでに時間がかかった。それがフランスでの伸長とのタイムラグを生んだ結果とも思える。

皮肉なことに、現在の先進国で共産党が大手を振って歩いている国はもはや日本くらいだ。社会党がそれだけ力がなかったからとも解釈できるだろうが、日本政治は世界から大きく取り残された「ガラパゴス」の国である。

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