1流と3流の指導者の違い

この問題を説明するには「政治」の分野がもっともふさわしい。一流の指導者は自分の立場や自分の時代にとらわれず、将来を見据え、国の舵取りを行う。仮に同時代の有権者の利益に反することであっても、いま手を打たなければ将来世代が死活的な危機に見舞われるとわかっていれば、将来世代の利益を優先する。そのため優れた指導者のもとでは、その時代にプラスの成果が目に見えて生じることはむしろ少なく、その指導者が去ったあと、あるいは亡くなった次の時代にその社会は繁栄する。そのためには時代を見据えた社会システムの変革と同時に、人材づくりが不可欠だ。平たく言えば、すべての人が能力を発揮できる社会とでもいおうか。逆に3流の指導者は、自分の時代が繁栄することを優先するので、極論すれば「自分さえよければいい」という自己保身の典型だ。安倍政治は明らかに後者であった。そのため現在の日本は安倍元首相退陣からわずか5年で、繁栄するどころか、多くの行き詰まりを抱えたままだ。何より女性活躍社会などと言いながら、政治の中心である国会は、なんらそうした姿に移り変わっていない。いかに未来を考えない政治がつづいてきたか、の結果でしかない。今国会においても「選択的夫婦別姓」の導入が実現しないのはそうした安倍政治の残骸が色濃く政界、社会に温存された帰結であり、この国をいま一度「洗濯」する行動が求められる。

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