白鳥事件から73年の朝

日本共産党の戦後最初の党綱領(「51年綱領」)に基づき、同党札幌委員会の地下組織が実行した「白鳥一雄警部射殺事件」の発生から73年となる。この事件は同党にとって最も触れてほしくない“黒歴史”の一つで、いまだ自らきちんと総括を行っていない事件として知られている。同党にとって綱領とは「党の憲法」を意味し、それに基づいて全国的に行われた武闘闘争の一端にすぎなかったが、当時の札幌委員長はイケイケドンドンの人だったため、党中央の指令に最も忠実に従い、その結果、網走刑務所の臭い飯を食べるはめになった。犠牲者となった白鳥一雄氏の末弟がいまも札幌近郊で健在だが、確認した限り、日本共産党が犠牲者となった白鳥家に謝罪した事実はこれまで一度も存在しない。逆に事件後、強硬に「冤罪」を主張し、虚偽の大衆運動を延々と続けたのが同党の実態である。その意味では“二重の犯罪”ともいえよう。裏にあったのは政党としての「保身」だ。私がこの問題を取材している頃は、年に数回は北海道を訪れたが、作品化した後はとんと行く機会がない。ちなみに昨年は関西方面の出張が一番多かった。現在、日本共産党は志位和夫議長の方針に従わない善意の党員たちを次々と除名・除籍するという時代錯誤の非人間的行動を可視化させ、票を減らし続けている。人間を虫ケラのように扱う同党の体質は、73年前から何も変わっていないと私は考えている。

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