経産省と癒着した政権

7年8カ月つづいた第2次安倍政権が世界史的レベルで今後の歴史で糾弾されることがあるとすれば、それは大きな原発事故が世界のどこかで再び起きたときだろう。同政権は原子力発電への依存を止めると宣言しなかったことが問題とされると見られるからだ。当然ながら、世論は時によってうつろう。その特質を前提に、日本の大胆な国策転換を図る最初で最後の好機は、民主党政権後の自民党中心の政権にあったことは経緯的に明らかだった。だが安倍政権は財務省の代わりに経産省(旧通産省)の役人を主軸とする政権としたため、原子力推進を所管する役所に「脱原発」を推進させることは犯罪者に警察行政をお願いするようなものにすぎなかった。政権の構造体として、最初からムリがあったのだ。連立を組んだ公明党は安倍首相に何度か「脱原発」の方向性を進言したはずだが、当然、弾き飛ばされた。その意味では政治はすべて結果、という意味からいえば、公明党はこの問題で確たる結果を残していないに等しい。事故や戦争はひとたび起こると、世論は急速に湧き上がる。次の原発事故が起きたとき、なぜ東日本大震災の2011年の教訓をきちんとこの国に定着させなかったかとの批判は、事後の安倍政権に向かうことになる。なぜなら自民党の前首相の小泉純一郎はそのことを何度も「進言」していたのであり、それを「敢えて」聞き入れなかった当時の安倍政権は二重の意味で重い罪を背負っているからだ。安倍内閣が「脱原発」の姿勢を鮮明にし、代替エネルギーの研究・開発に国力の多くを投入していれば、今頃様相は相当に変わっていたはずだ。「国策」の誤りというのはおそろしい。いまは多くの国民・住民が忘れている状態にすぎない。

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