利他は自責志向の上に成り立つ

アフガニスタンで人道支援をしていた中村哲医師が武装集団に銃撃されて命を落としてから12月4日で5年となった。幾つかの新聞で関連の記事を見かけたが、それはちらほらといったレベルだった。それでも今も同医師の功績が紹介されるのは、やはりその「利他」の生き方や精神性が普遍性をもつものだからだといえる。上記の中には、母校の九州大学で学生たちに利他の精神を伝える講座を続けている旨の記事もあった。昨日のつづきになるが、利他の精神は、他責志向(思考)からは生まれにくく、自責志向の上に成り立つものと考える。この場合の自責志向は「自虐史観」などいった卑俗な概念とはまるで異なる。自責志向であってこそ初めて客観的に自身の立ち位置を理解でき、物事を総合的にとらえて最も合理的な判断が行いえるのであり、他責志向は常に視野狭窄に陥りがちだ。現在、政治課題として浮上している選択的夫婦別姓の導入問題でも、反対している人の多くがこの他責志向の面々であり、過去の日本は悪くなかった、悪かったのは日本を追いつめた米国や共産主義勢力のコミンテルンだったといった極めて偏った歴史観に支配されている人びとであることが明らかだ。

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