一言居士を大切に

どの組織・団体でも「正論」を述べる人がいる。だれもがその場の“空気”に流されて一方の極に振り切れている状態のとき、たった一人、異論を述べて圧倒的に孤立して自ら不利益を受けるが、後になって振り返るとその人の言ったことが正しかったというケースは歴史上ままある。石破内閣で総務大臣に起用された村上誠一郎衆院議員は安倍元首相の国葬直前に「国賊」発言を行ったことで党内処分を受けた人物だ。それでも除名にならなかった分、日本共産党などと違ってかなり緩やかといえる。問題は「国賊」という表現(論評にすぎないもの)が正しかったかどうかだが、世間の一般の常識からすれば、「統一教会に (隠密裏に) 日本を売り渡していたのだから当然の表現」と受け取る人は多い。要するに前提事実には真実性があったという結論になる。発言は正しかったとみなされるわけだ。ことし1月の共産党大会でもただ一人、執行部の早急な除名処分に異を唱えた女性議員が党内で袋叩きにあった事例がある。私はその行動に、村上誠一郎と同じものを感じる。またアメリカの国会議員で唯一戦争に反対したジャネット・ランキンなどにも重なる。少数意見を大事にすることは、多様性を重んじることにつながる。多様な意見を前提にそこから有効な道筋を見つけていく手法は、最も間違いの少ない手法といえる。その意味で“一言居士”の意見を大事にする組織は、強い。一方でそれを受入れられない閉鎖的な土壌、組織体質の団体・政党は急速に衰退を早める。かつての大日本帝国などはその典型例だ。この原則は、時代や場所を問わず、普遍的なものだろう。

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