事実の上に党派を置かず

このテーマはいまの日本を席巻している切実な問題と感じる。すべての物事は「事実」の上に立脚すべきことは明らかだが、仮に自分個人のこうあってほしいという「願望」を「事実」の上に置くとなればすべては狂ってしまうことになる。たとえば旧日本軍の非道な加害行為の「事実」を認めず、そうではなかったという自らの「願望」を優先するとするなら、それはすでに歴史の真実が失われているのと同じことだ。それと同様に、例えば日本共産党が過去に白鳥警部銃殺事件を起こしながら、その「事実」を認めず、同党は決してそんなことはしていないとの「願望」を優位に立たせれば、そこからは謝罪も、反省も、教訓も生まれることがない。それと同じことである。その意味で、この問題は「右」や「左」の問題というわけではない。ひとりの人間として、真摯な生き方をしているかどうかというモラルの問題なのだ。

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