本日付日経(社会面)で80年前の1944年6月、学童の「集団疎開」が閣議決定された史実を紹介している。敗戦1年前のこの時点で、大日本帝国は将来のために未来を託す子どもたちをできるだけ安全地帯に避難させようとする最後の「判断能力」は有していたことを示すものといえよう。だがその結果、沖縄から九州に集団疎開する船の一つ「対馬丸」が撃沈されたのはちょうど80年前の8月22日のことである。昭和の敗戦から80年、さらに来年は昭和100年の節目も同時に迎える。昭和の日本がなぜ針路を間違ったのか、そのことを検証することなしに、日本の真の未来も生まれない。一言でいえば、軍のあり方にその原因はあった。本日付東京新聞で保阪正康氏は「政治、憲法が軍を制御できなかった」と結論づけている。現在の自衛隊が多くの不祥事を起こし、さらに大日本帝国時代に精神的に回帰しようとする動きを鮮明にしている今、過去の教訓を振り返る意味はあまりにも大きい。