朝日陥落から10年

“陥落”という言葉を使うと私などは昭和12年の「南京陥落」を想起するが、“落城”でも意味は同じだろう。10年前の8月5・6日、朝日新聞は過去の慰安婦報道を自ら検証し、一部の記事を取り消す挙に出た。ただし報道の誤りは認めたものの、謝罪の言葉が入っていないなどの欠陥があり、騒ぎは沈静化するどころか、逆に自ら火に油を注ぐお粗末な結果となった。朝日新聞の急速な弱体化はこの日を起点にする。当時の経営手法の無能も手伝ったと思える。あのとき、社の方針を決定する過程で、あくまでジャーナリズム性を追求する方針に徹することができていれば、事態は大きく変わっていたはずだ。その後、同社は慰安婦問題の真相探究を止め、「公器」としての役割を自ら放棄するに至る。その結果、産経新聞が掲げるウソと虚飾、無理なこじつけを中心とした“チープ歴史戦”がはびこる結果となり、この国の社会を低劣なものに貶めることに貢献する作用を果たした。この問題は、ジャーナリズムとは何かという課題に直結している。事実を求め、それを読者に還元する。その行動をとる記者を最後まで守る。その姿勢に徹することなく、社のメンツを守って迷走する判断しかできない組織は、やはり読者からは見放される。大事なことは、「原則に戻る」ことなのだと感じる。

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