土俗宗教としての神道

日本人は生まれたときから神道になじむ。神棚がある家はふつうであり、神社に初詣でに行くのも当たり前だ。日本人はこの宗教を日本独自のものと思い込みたい人もいるが、実態は朝鮮半島から来たものであって、発祥地は朝鮮だ。この宗教は明治日本では統治手段として“悪用”され、戦争遂行のためのイデオロギーとなった。日本人の日本人による日本人のための宗教として機能した歴史がある。植民地にも多くの神社が造られたことはいうまでもない。この宗教は戦後GHQによって解体され、「国家神道」から一宗教法人に後退した。それでも他にすがるあてのない日本人は、この日本人にしか通用しない宗教を重んじる。だがこの宗教は日本人の日本人による日本人のための“部族宗教”にすぎないから、普遍性は存在しない。他国においてはなんら有り難みのないものだ。こうした土俗宗教と、仏教やキリスト教などの世界宗教との根本的な違いだろう。土俗宗教は国益と結びつきがちで一国平和主義しかもたらさないが、世界宗教は世界全体の平和を志向する。現在の日本政治は土俗宗教と世界宗教の融合体に見える。世界宗教がより大きな影響力をもたなければ、日本は独りよがりの行動で再び「破滅の道」を歩みかねない。土俗宗教と世界宗教の戦いは、水面下でつづいている。

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