良師を求める

空手の世界にも良師を求めよといった意味の言葉が残されている。同じ武術、あるいは同じ流派を習うにしても「だれに」教わるかによって結果は大きく異なってくるからだ。では何が良い師かという定義は短絡的には言えない。それでもいまとなってはその言葉の意味が深い次元で実感できる気がする。どの世界においてもだれを師匠と決めるかはその人の人生を決定づける。それと似た考えとして、どのような思想、考え方に触れるかもその人の人生を大きく左右する。私は幸いに20そこそこで、意図せず、人間の死というものを解決したとする思想に巡り合うことができた。その点においては、もっとも合理的な巡り合いだったと今では感じる。過去から現在まで世界の多くの哲学者、知識人が「いかに生きるか」「いかに死んでいくか」を探究しながら、満足な回答を出せずに死んでいった例がごまんとあるだろうからだ。帰納法でいくか、演繹法でいくか。最短の演繹法の巡り合わせであったという確信がある。

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