人を殺すことが快楽に変わるとき

日本がカンボジアPKOで揺れていた30年以上前、1975年からのカンボジアの大量虐殺事件に関わったポルポト兵士の心情を知る機会があった。話してくれたのは兵士の言葉を直接聞いたカンボジア難民で、その人が次のような言葉を紹介したからだ。それによると、人間は初めて人を殺めるときは恐怖を覚えるが、それが度重なってくると感覚が麻痺し、やがて殺すことが快感に変わる。生々しい言葉だったので、いまも記憶に残る。現在のイスラエル兵士の行動を見ていると、同様の行動と思える。もはや敵の兵士とそれ以外の民間人(人道援助の活動をしている人たちを含む)の区別もついていない行動は、もはや病的レベルにしか見えない。似た現象はかつての旧日本軍でもあらわれた。中国大陸を侵略し、多くの罪のない現地の人々から食糧を略奪し、女性を強姦し、進軍を続けたあの旧日本軍だ。その帰結として、南京大虐殺を起こしたことは事の経緯や道理からいって当然の流れだ。これらはカンボジア、イスラエル、日本と場所や国籍を超えて、人間としての共通する行動として捉えることができる。現状のイスラエルを止められるのは国際社会だけであり、具体的には日本とアメリカだ。

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