「日本は素晴らしい教」の信者たち

健全なナショナリズムとそうでないナショナリズムとの境界線はどこにあるのか。私見では「排他性」を伴うかどうかにあると考える。前者のナショナリズムは自分の属性とのかかわりを素直に内面にたたえている状態であるのに対し、後者は自らの属性を持ち上げ、他者よりも優位であると傲り高ぶる感情のもと、自分以外の存在を自分より劣る立場として見下し、結果的に「排除」へ向かう。日本に200万人いるとされるネトウヨは、明らかに後者だ。

不健全なナショナリズムの特徴は、わかりやすい2面性を伴うことだろう。2項対立といってもよい。世の中は実際はより複雑な世界であるのに、わざわざ敵と味方、善人と悪人にレッテル貼りして2つに切り分け、一方の側に煽動する行動を伴う。今回の中東情勢においてもその現象が極めて顕著だ。こうした悪しきナショナリズムはいつの時代でも起こりうるが、近年は特にかまびすしく感じる。過去の近い時代にこの「病弊」が猛威を振るったのはやはり戦中であり戦前だった。明治国家が確立した「国家神道」が思想的拠り所となったが、神道は人間に恵みの結果をもたらさなかったという意味で、力をもたない土俗宗教にすぎない。

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