人道立国の時代へ

100年以上前、牧口常三郎は人道的競争の時代を予見した。悲惨な原爆投下の歴史と、多くの無意味な戦争や大量殺戮の愚かさに気づいた人類は、21世紀に入って別の新たな方向に進むはずだったが、簡単にそうはならなかった。人間がひととして最低限度の人権を保障される社会。戦争や紛争はその対極にあり、現在の世界はそのただなかに置かれている。新冷戦時代は不可避と分析する識者も多いが、そうさせないベクトルがぜひとも必要だ。

日本はいまだ多くの点でガラパゴス社会である。戦前の潮流を払拭できず、中途半端な改革のまま戦後に突入したことが大きい。大日本帝国時代の名残をいまも多くの制度や風習に残しているからだ。その意味で、死刑制度の廃止(あるいは死刑執行の凍結)は絶対的に必要なことである。それは生命尊厳を説く思想をもつ政党であればなおさらのことだ。

さらに時代錯誤の入管制度の抜本的改正、難民認定システムの改革も、日本が世界における人道国家のステップをのぼる上で絶対的に不可欠な改革だ。そのためには異なる民族への寛容な風潮と精神が、それらの政策と一体的なものとして社会に定着する必要がある。これを醸成できのは政党という政治的次元の行動だけでは不可能で、社会一般に広がる運動体としての動きが不可欠となる。自民族だけで国家運営が可能と考えるのは、皇国史観にいまだひきずられた時代錯誤の者たちだけだろう。多くの点で日本は「後進国」的精神性の中にあることが明らかだ。時代を切り開くのは青年の力である(青年は年齢的意味合いの区分に限らない)。

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