東村山の構図18 歴史修正主義との同一性

東村山デマ事件を見ていると、世にいう「歴史修正主義」とその根本は同一である。一般に歴史修正主義の「修正」とは漠然とした言葉で、実際は「歴史捏造主義」といったほうが正確だろう。事実的根拠を伴う特定の歴史的事実に対して、部分的な証拠のみを用いてそれを否定したり、疑問を提示しつづける立場を指す。主に南京大虐殺に伴う旧日本軍の不法行為や、旧日本軍主導で朝鮮半島から10代の女性を就職詐欺で動員し、1日に10人以上を強制売春させた慰安婦などの実態を否定する方向で使われることが多い。これらは歴史的事実として指摘あるいは確定されているものだが、それら同じように、1995年の東村山市議転落死事件においても、大枠の事実関係はすでに「確定した」状態にあるのに、一部分のみの証拠を取り上げるなどして、延々とその結果に疑問を呈する行為がまさにそれに該当する。

ジャーナリストはあくまで事実に立脚する職業であり、あらゆる事態を想定した上で自分なりの結論をくだすが、そこに自らの政治的主張やプロパガンダを介入させることはしない。これはジャーナリストとしての「前提条件」であり、それをできない同業者はもはや「活動家」でしかないだろう。この場合は、教団叩きの心情が先走りすぎて、客観的な事実関係が見えていないように思われる乙骨某などが該当する。

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